今日のキーワード

アニソン

両論併記で問題は解決したと思っていたのだが、何が不満なのだろうか。もはや文句をつけているのはid:hilo-comさんだけだ。というより「手を引きます」と言っていたのに、前言を翻してのその行動には首をかしげざるを得ない。
以下11月7日の私のコメントを再掲載。少し記述を修正しています。

その試みが成功したかどうかはともかく、私は最初から詳しい説明を試みていましたが? そもそも私の意見を主観と決めつけているのはhilo-comさんですよね? 現状の解説が客観的記述が中心としたものであると証明された以上、わざわざ解説を辞書からの転載へ後退させる意味はないと考えます。
なお他の辞書の転載では著作権侵害のそしりを免れませんので、なるべくユーザーの手で解説を書くのが正しいあり方だと私は考えています。

両論併記でZ9M9Zさん他とも既に合意が取れたと私は考えているので、hilo-comさんは一旦「手を引く」と言った以上、これ以上の内容削除を伴う修正はご遠慮頂きたいと思う。

雑感

goo辞書(デイリー新語辞典)を金科玉条のように掲げているが、あの解説では多種多様なアニソンに対する考え方を包摂したとはとても言えないと個人的には思う。もちろんあの定義を否定する気は全くないことは前々から言っているが。

追記

追記:id:Z9M9Zさん、重ね重ねの補足ありがとうございます。

京都

長文になっているので、最初に言いたいことを分かりやすく言っておきます。
「京都の交通が不便」ということは既に解説中に書いてあるんです。しかし「日本一不便」と言ったり、「交通が不便な観光都市京都」と題名までつけて殊更に強調するからには、それ相応の(地元民でない人が見ても納得できる)客観的な証拠または事実がないとだめだということなんですよ。
分かりますか?


以下、id:hilo-comさんの「京都」における2つのコメントを引用。(誤解なきよう全文引用しました)

「ゆかりがある」と「生活してる」人間では現実問題として違います。もっと簡単に言えば逃げ場がある人間とそこで生活する人間とでは現実問題に対しての重みが違います。大阪に住む人間は不便だけで済みますが京都に住む人間は不便と一生付き合うしかありません。「悲しい」なんて甘い考え方は他府県だから出来るんです。地元の人間はなんとかするしかないんです。はてなダイアリーには客観的事実が必要ですが土地柄に関しては事情が異なるでしょう。他府県の人間がガイドブックを見ながら説明するのと地元の人間が苦労しながら生活している立場が説明するのでは意味が違います。異議を唱える前に京都で生活して不便さを実感するべきです。それも電車がなくバスが不便が地区です。そうすれば甘い考えは直ぐになくなります。

補足です。「好きだから住む」「嫌いだから住まない」というのは単純な問題ではありません。何らかの事情で住むしかない人も大勢います。簡単に不便だから京都から離れる人も大勢います。他府県の交通が便利な地区に住む人には京都の不便さは実感出来ません。理屈じゃなく現実なんです。

客観的事実もしくはその「現実」を主張するための有力な証拠を出せ、で話は終わってしまうのですが、頑張ってこのコメントに対する意見を述べようと思います。


まず、上のコメントは私の「(hilo-comさんの解説では)現状ではhilo-comさんの主観でしかない」という主張に対する意見だと解釈しました。
「ゆかりがある」と「生活してる」は確かに違いますが、今の議論に関して言えば全く本筋ではなく、関係ない議論です。hilo-comさんが京都人であることを強調なさるので、私も京都に全く無関係ではないと言うことを示しただけのことです。
そして、

はてなダイアリーには客観的事実が必要ですが土地柄に関しては事情が異なるでしょう。

このはてなダイアリーで、誰がそんなことを決めたのでしょうか。ヘルプを見てもどこにもそんなことは書いていません。この主張自体hilo-comさんの個人的意見ですね。土地柄の説明であっても、できるだけ客観的事実に基づくべきであるのは言うまでもありません。
hilo-comさんが京都のどこに住んでいるかは存じませんが、その地域で、hilo-comさんが不便と感じるのは自由です。だからといって、「あなたの住んでいる地域住民全員が、その地域について不便と思っていること」の証明にはならないでしょう。「京都が不便なのは京都人の考え方」なんてなおさらです。
さらに

異議を唱える前に京都で生活して不便さを実感するべきです。

と主張されていますが、これは京都で生活した者でなければキーワード「京都」の編集をしてはならないという意味でしょうか。もしそうであれば、「キーワードははてな全体の共有財産である」というはてなの主義に反することになります。
また、以前の解説で書いてあったことを例に挙げると、例えば「交通が不便な観光都市京都」と題名で強調して書くことは、「京都が不便であること」を明らかに全体に広げた説明となっており、少なくとも京都人の間で「京都の交通が不便」という何らかの合意が為されない限り、説明としては不適当です。


結局、不便だというからには、客観的事実・根拠が必要なのです。「不便だから不便だ。京都に住んでいる私が言うのだから間違いない」では、残念ながら説得力はありませんし、誰も納得しません。
なお、現段階で、私はhilo-comさんから、すでに今までの解説で採用されている以外の「京都の交通が不便」と言う、客観的事実や主観ではない根拠を未だに示して頂いておりません。もし私のような「地元民でない人」でも納得できるような新たな事実や根拠が別にあるのであれば、是非示して頂きたいと思っております。
また一つだけ先に言っておきますが、

バス停の所在ははっきりせず時間も曖昧。
交通渋滞により所用時間もはっきりしない。
はっきり言って不便極まりない。

の部分はバス一般に関する記述であり、京都に限ったことではないので私は解説に残しませんでした。この記述はキーワード「バス」に書くべきことです。このようなことは大阪でもしょっちゅう起こります。無論大阪の方が酷い時だってあります。実例を挙げますと、私は高校の時バス通学をしていましたが、私の乗っていた路線は渋滞その他で遅れることが多く、最高で1時間近く遅れたことがあります。もちろん事件・事故などはなく、普通の渋滞でした。その時は当然のことながら遅刻しました。


ちなみに、私は「京都」の解説を書くのに、ガイドブックその他の資料は全く使用しておりません。6年も京都にいれば、あれぐらいは何も見なくても書けます。