アニメソングの歴史

1960年代

60年代半ばまで 「鉄腕アトム」に代表されるヒーローアニメがアニメ黎明期の主流であった。合唱団によるコーラスが中心で、明るい曲調、マーチ調が多いのが特徴だった。
1966年、「魔法使いサリー」が放映開始される。女の子向けアニメの走りであり、魔法の呪文を用いたメルヘンチックな歌詞。しかし、サリーの後はあまり女の子向けアニメは制作されず、その本格的登場は70年代に入ってからとなる。
60年代末には「巨人の星」「タイガーマスク」など、スポ根アニメが登場した。これらの作品に用いられた曲は、マイナー進行の曲が多く、それまでのヒーローアニメに用いられた曲よりも暗い曲調となっている。これは、「努力・根性」という、ヒーローものにはあまり見られない、スポ根アニメの重要な側面を反映したものと言えるのではないだろうか。
楽曲の販売形態としては朝日ソノラマに代表される、ソノシートが中心であった。レコードとの併売も行われたが、ソノシート収録曲とは異なるバージョンが収録されている場合もあった*1

1970年代

70年代は、現在の一般的なイメージとしての「アニメソング」の骨格が形作られた時代と言える。すなわち、いわゆる「70年代アニメソング」が次々と発表された。
70年代アニメソングは、子供たちが覚えやすいことを最重要課題とし、できるだけ分かりやすく作品の主題を表そうとしていた。曲名や歌詞中にアニメに関連する語句が含まれるのはもちろん、男の子向け作品では擬音や擬態語、女の子向け作品では魔法の呪文などを歌詞に用いたりして、作品のイメージ醸成の一翼を担った。
また、アニソン歌手が生まれたのもこの時代である。1969年の堀江美都子デビューを皮切りに、水木一郎ささきいさおなど、今日アニソン歌手として知られる多くの歌手がアニメソングを歌った。逆に言えば、彼らがこの時代のアニメソングの大部分を歌っていたと言える。
なお、アニメソングを扱うレコード会社は、コロムビアがほぼ独占状態であった。
70年代末には、アニメにおけるタイアップが始まった。1978年公開の映画「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」において、沢田研二がEDテーマ「ヤマトより愛をこめて」を歌ったのが、商業主義を意識したアニメにおけるタイアップの最初と言われている。その後、ゴダイゴによる「銀河鉄道999」のヒットなどがあるが、この時代のタイアップは大ヒット作品に限られており、まだアニメソングの主流ではなかった。

1980年代

80年代に入ると、ニューミュージックの台頭とともに、70年代アニメソングからの脱却を図る動きが見られた。タイアップという手法が一般的になるにつれて、アニメに商業主義が持ち込まれることになったのである。
1981年放映開始の「うる星やつら」においては、番組改編期ごとの主題歌変更という形式が初めて採用され。楽曲自体も小林泉美の曲を中心に、時代を先取りしたものが多かったのが特徴的である。「うる星やつら」は、それまで1作品1主題歌が当たり前だったアニメソング自体の在り方を変える大きな転換点であったと言えよう。
また、アイドルブームに乗って、アイドルとアニメの結合(アイドル型タイアップ)が発生したのも特筆すべき点である。「魔法の天使クリィミーマミ」の太田貴子や「超時空要塞マクロス」の飯島真理など、アニメ作品自体のヒロインを演じつつ主題歌も歌うという、アニメソングにとどまらない密接なタイアップが行われていた。
一般アーティストによるタイアップでは、杏里が1983年に発表した「CAT'S EYE」が大ヒットしている。「オリビアを聴きながら」をヒットさせた彼女がアニメの主題歌を歌ったことは、当時非常に話題となった。これ以後、タイアップ手段の一つとして、アニメという媒体が世間一般に徐々に認識され始めた。なお、この1983年は、旧来のアニメソングにとらわれない、自由な形式の楽曲が登場し始めた年と言える。例としては、テレビ放映のロボットアニメとしては初めて、歌詞中に作品に関する語句が全く登場しない主題歌「炎のさだめ」を用いた「装甲騎兵ボトムズ」や、アニメ初の全英語歌詞の主題歌「HELLO!VIFAM」を使用した「銀河漂流バイファム」などがある。
その後「CITY HUNTER」では、様々なアーティストが主題歌を歌っている。「CAT'S・EYE」「YAWARA!」「CITY HUNTER」など、この時期テレビアニメに有名な一般アーティストを起用したのは、ほとんどが日本テレビ系列である。特によみうりテレビは「アニメだいすき!」の主題歌・BGMに洋楽を使用していたことからも、一般曲を作品をイメージづけるための手段として利用しようとしていたことがうかがえる。
対してフジテレビ系列は、おにゃん子クラブなどのアイドルを売り出すための手段としてアニメを使っていた。「ハイスクール!奇面組」や「愛少女ポリアンナ物語」などの世界名作劇場シリーズ、「らんま1/2」などはその最たる例と言えるだろう。

1990年代

90年代に入り、タイアップが当たり前となる時代になった。トレンディドラマで主題歌のヒットを狙ったように、アニメでも商業主義に根ざしたタイアップが主流となっていく。特に小室ファミリーが隆盛だった1990年代中頃は、音楽界の流れと篠原涼子の「恋しさと 切なさと 心強さと」が今もってアニメソングの売上第1位を保ち続けていることからも、特にその傾向が強かったと言える。

この頃放映を開始した作品で、タイアップの影響を最も大きく受け、また他のアニメにも影響を与えたと言える作品は、「名探偵コナン」であろう。「名探偵コナン」においては、ビーグラムレコード所属のアーティストの楽曲を次々と主題歌に使用した。

それまで半年間隔だった主題歌の交代サイクルにも変化が見られた。

  • 幽★遊★白書…EDのみ変更。当初は7ヶ月、4代目以降は2ヶ月
  • DRAGON BALL GT…EDは初代のみ半年、2代目〜4代目は3ヶ月
  • こち亀…当初は半年だったり3ヶ月だったりしたが、後期は3ヶ月で固定
  • 名探偵コナン…2000年以後、半年から3ヶ月間隔に変更

1996年の「るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-」もタイアップ曲がヒットを生んだ好例と言えるだろう。小室ファミリーの勢いが陰りが見え、ジャンプ系漫画が力を失う中で、ジャンプ系アニメ作品の火を消すまいと、アニメ自体のクオリティも高かった。


しかし、90年代がタイアップ一色だったわけではない。1995年の「新世紀エヴァンゲリオン」を中心としたアニメブームにより、アニメソングも大きな影響を受けた。一つは1996年の「機動戦艦ナデシコ」の劇中劇「ゲキ・ガンガー3」の諸楽曲や、「勇者王ガオガイガー」(1997年)の主題歌「勇者王誕生!」などに見られる、70年代ロボットアニメへのオマージュである。このことは、1970年代にちょうどアニメを見ていた世代が大人となり、アニメ製作の中核を担うようになったことが大きく影響していると思われる。ゲーム「スーパーロボット大戦」シリーズにおいても、ロボットアニメの再評価は行われており、2000年のJAM Project結成へとつながっていった。

90年代後半には、CD売上の減少を食い止めるため、レコード会社がアニメ製作会社を成立することが見られた。1997年のSPE・ビジュアルワークス*2SME系)や、1999年のavex mode(エイベックス系)などが挙げられる。これ以後、レコード会社が、子会社製作のアニメの主題歌に、自社所属のアーティストを起用するというパターンが確立された。

ただしエイベックスが採用する主題歌は、多くの場合作品と全くと言っていいほど関係ない楽曲であったため、作品そのものをイメージしづらいと言う批判があった。

2000年以降

90年代アニメブーム・小室ファミリーに代表される音楽バブルの終焉とともに、アニメにおけるタイアップ曲のヒットも少なくなっていった。
この頃からアニメの放映形態そのものに変化が生じ、それがアニメソングにも影響を与えている。一つはこれまでの路線を踏襲したタイアップ曲の系譜。
2002年10月より放映された「機動戦士ガンダムSEED」に始まる、TBS系の「土6」枠に見られるように、音楽界が低迷する中でアニメとのタイアップが再評価されるようになった。「鋼の錬金術師」の主題歌ベストアルバムが、コンピレーションアルバムとしては日本で初めてオリコン1位を獲得したことは記憶に新しい。この「土6」枠はSMEビクターエンタテインメントのアーティストが起用されているが、アニメの製作スタッフも楽曲選定に関わっているため、全く方向性の違う曲が選ばれることは少ない。ただしこのような例は稀であり、ほとんどのタイアップ曲はやはりレコード会社主導で選ばれているのが現状である。

*1:例:「魔法使いサリー」、「巨人の星」、「ルパン三世(旧)」

*2:2003年にアニプレックスに社名変更